shortstory1
父さん、ありがとう
これなんだろう。
久しぶりに実家に帰った私は母の片づけを手伝っていてカビの生えた埃だらけの皮のケースに包まれた重い塊を持ち上げていた。
「ああ、それ、あんた覚えてないの?そうね。覚えてないかもね。お兄ちゃんは覚えているかも知れないけど。あんたは小さかったからね。無理ないかもね。」
矢継ぎ早に母は言葉を繰り出す側で私はその埃とカビだらけの皮のケースのホックを外して中を見た。
「ああ、カメラなのね。こんなの家にあったの?」
私は母に言葉を返した。
「見たことない。なんなのこれ?こんなの使っていたの?」
今度は私が矢継ぎ早に言葉をくりだした。
「お父さんが買った、最初のカメラよ。これ、高かったのよ。新婚旅行に持っていったの。それから、お兄ちゃんが生まれて、それあとあんたも生まれて、ずっとこのカメラで撮ってきたの。」
と母。
そうか、そうだったな。そこで私もやっと思い出した。
両親が結婚したのは何年だったかな?兄が生まれたのはその翌年と聞いているからそう、兄は私より4つ上だから今年54、じゃ、昭和33年ってことか。カメラももう55年も前のもの。
金属のそのカメラは銀色に鈍く光り、ガラスの小さな窓と真中にガラスの丸いレンズ、その周りの数字の入った目盛り。そして黒いレザー張り。機械オンチの私にはまったく縁のなかったカメラ。そう、思い出した。確か中学の修学旅行で父さんが持って行けって言ったっけ。そうそう、思い出した。本当にすっかり忘れていたっけ。父さんがフィルムに入れ方を一所懸命教えてくれたけどうまく覚えられなくて、結局持っていかなかったな。それに大きくて重いのもなんだかいやだったし。でも、今思うとカメラってこんな形だったし、フィルムもどこでも買えて、現像して、アルバムに張って。そのうち整理できない写真ばっかり溜まってしまって。でも懐かしい。本当はあのころのほうが楽しかったかもしれない。
「母さん、捨てずに取ってあったのね、このカメラ。」
私は母さんに話しかけると母さんは、
「父さんが大事にしてたのよ。言ったじゃない、高かったって。いまのカメラと違って値打ちがあるねえ。新しいカメラを買った後も捨てられなったのよ。今じゃ後から買ったカメラの方が残ってないわね。」
もう使えないのかな、ふっとそんな気持ちが横切ったけど、もともと私は機械オンチ、うちの旦那もギターだ、スキーだと若い時はそんなこともやったけど、写真は趣味じゃなかったし。
突然母さんが、
「ほらこれよ、片付けのついでだから、持って行きなさい。」
とアルバムを取り出してきた。
「こっちがお兄ちゃんの、こっちがあんたの。ほら、お兄ちゃんのかわいいこと。今はおなかの出たあの親父さんかと思うとぞっとするわ。」
母さんはそんな毒のある言葉を出しながら、兄の写真を見る目は優しかった。
私は久しぶりに自分のアルバムを見ることなった。色あせたカラー写真にまだ歩けない頃の私が母と写っていた。
「ねえ、私は生まれた時からカラー写真なのね、お兄ちゃんはモノクロなのに。」
そんな言葉に母は答えて、
「あの頃はカラーの出初めだったのよ。現像も随分長くかかったと思ったわ。」
私はそれには応えずアルバムの次のページを見ていく。そこには確かに歩けもしない頃の私が歩くようになり、デパートの屋上で乗り物に乗っているところや半ズボンの兄と一緒に写ってる姿があった。カラーばかりじゃなく、モノクロもたくさんある。私が生まれた頃、まだ高かったであろうカラーフィルムで撮って残してくれた両親の思いを少し感じた。どのページもいつも主役は私、そして兄や、今の私より若かった母、近所の幼馴染の姿があった。
「ねえ、母さん。」
私はまた母に呼びかけて言葉が出なくなった。それはアルバムの中になぜ父がいないのかと思って、すぐその理由がわかったからだった。そしてアルバムにはいない父の姿が私の記憶によみがえっていた。父はいつもこのカメラを首から下げていた。
父さん、ありがとう、もう一度私がこのカメラを使ってみるね。
私は心の中でつぶやいていた。
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