memo/2012-07-12
2眼レフのカメラ修理
遅まきながらアイレスフレックスの記録を残す。
2眼レフのブームを作ったと言っていいモデル。アイレス写真機という会社に限らず、多くの2眼レフを作っていたメーカーは今は無くなっている。レンズとシャッターを買って来て箱に取り付ければ2眼レフが出来てしまい、多くの4畳半メーカーが生まれた。
2眼レフのブランドはA〜Zまであったと言われる。手元に頂いた資料があるが、Aはもちろん「AIRES」(アイレス)からで、「U」だけがなく、Zは「ZENOBIA」(第一光学)となっている。
このアイレスフレックスはご多分に漏れず、ローライコードのコピー品である。ヤシカフレックスともほとんど同じ寸法のところがあった。こちらもローライコードのコピーだろう。
ドイツは敗戦よる賠償で、特許権を失ってしまった工業製品があると聞いている。ローライフレックスもそうなのかもしれない。浜松はバイク生産の町だったが、一番後発だったY社はDKWのコピー車で始まったという。このバイクも多くのメーカーがコピーしたようだ。
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